1990年代に入り、プロダクションの設立やコンスタントなアルバム制作、そしてライヴ活動とアラン・ホールズワースは全てが順調に進んでいたかに見えたが、思いがけない事態が起こる。日本を除く全世界でのアルバムのディストリビューション契約をしていたWEA傘下のレストレス・レコードが経営不振で閉鎖されることとなり、アルバム・ディールを失ってしまう。
嗜好の変化によりジャズ・フュージョン・ミュージックのマーケットは縮小、次なる契約を得ることが極めて困難な状況に追い込まれる。そうした中においても、ホールズワースはライヴ活動に重きを置きながら地道にアルバム制作を進める。当時のツアー・メンバーであったデイヴ・カーペンター(b)&ゲイリー・ノヴァク(ds)に加え、ゲストには初めての起用となったウォルト・ファウラー(tp)、そしてチャド・ワッカーマン(ds)を迎えて『ザ・シックスティーン・メン・オブ・テイン(原題: The Sixteen Men Of Tain)』を制作。インディー・ジャズ・レーベルと契約し本作をリリースするがホールズワースの許可なくDVDをリリースしたことから契約を解消。エディ・ジョブソンのレーベル、グローブ・ミュージック・メディア・アーツから新たに2曲を追加して再発される。