ピエール・ミシュロとケニー・クラークは1949 年にクラークが初めて渡仏したときから共演を続けており、特にクラークがパリに居を定めた1955年以降は、名コンビとしてクラブ”ブルーノート”のハウス・リズム隊を務めた他、ほとんど常に行動を続けたと言っても過言ではなく、63 年にはデクスターのブルーノート録音『Our Man In Paris』にも揃って参加しています。
一方アル・ヘイグは、1965 年を最後にシーンから姿を消していましたが、1974 年にロンドンで録音した『Invitation』(Spotlite)〜ここにはケニー・クラークの名前もあります〜で鮮やかな復活を遂げ、以降続々とアルバムをリリースしていくことになります。そして1977 年9 月23 日にはパリでピエール・ミシュロとのデュオ作『Al In Paris』(Musica) を録音しますが、その2 日後に行われたのがこのコンサートで、アル・ヘイグとデクスター・ゴードンはここで初めて顔を合わせることになったのでした。